歳時記

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秋深まり セイタカアワダチソウに 虫達集う


 産卵あるいは越冬を目前にした虫たちにとって、晩秋のこの時期、蜜や花粉を摂取できる花は大変貴重なもの。島熊山で林縁沿いに点々と咲くセイタカアワダチソウには、天気の良い日、早朝からハチやアブ、チョウやハエたちが押すな押すなと寄り集まってとても賑やかだ。夏の日の木陰、樹液湧く森のレストランに押し寄せたカナブンやスズメバチの荒くれ集団とは少し客層が違うけど、みんな体力をつけようと一生懸命なのだ。(写真:左上は飛び立つ寸前のベニシジミその下が黒かみ人面顔のオオホシカメムシその右にニホンミツバチ 四角の中が、実際は花の向こう側にいる毛深いキンケハラナガツチバチ♀
  10  月   
  11  月   
一枚のササの葉にみた 四種の虫たちの昔と今


 これは一体…?鉄兜の下に下唇をムッツと突き出したおじさんが難しい顔でこちらを睨んでいるような、倒立したハラビロヘリカメムシの背中。その右下には、これもなぜか逆立ちして羽化したセミの抜け殻が跳ねる。右触角の先には、かつてそこで小虫を捕らえたであろうクモの破れ巣が白く風になびく。向こう側、葉表にはアブラムシの脱出跡が黒い影となり点々と映る。一枚のネザサの葉に物語られる虫たちの過ぎた昔と今に、思わず想いを馳せる。
  8  月   
  9  月   
コニワハンミョウ幼虫の
   特異な生きざま垣間見る


 ◆これは一体…?鉄兜の下に骨張ってゴツゴツとした頬と顎、両端の極限にまで分け散った小さな丸い眼球。一見、ターミネーター4のアンドロイドを思わせる厳めしい風貌はチタン合金ではなく、れっきとした生き物、コニワハンミョウ幼虫の素顔なのだ。普段はこうして自らが垂直に掘り下げた竪穴に潜み、アリやヤスデが近づくのをじっと待ち構えている。穴のそば、射程圏内に小虫が踏み込むや、瞬時に体を後方へ弓なりに跳躍させて鋭い大あごで挟み付け、穴の底深くに引きずり込むのだという。
◆親が長い足で軽々と平地を疾走して獲物を捕獲するのに比べ、子は傍らを小虫が通ることだけを信じて、ひたすら待ち続けるのだ。そのわずかな機会の到来に、転生と自己の未来を託して…。一腹の兄妹の内、誰が大人になって平原の風を友にできるのか分からないにしても、誰に教わったでもない、それが幼虫独自の論理であり、生き様なのだろう。
  6  月   
  7  月   
陽射戻った竹林跡に
   初めてクロバイの花咲く

 4月も終わり頃、竹林跡の一角に、白い小花を棒状房状に多数つけた中木を見た。この10年余り、毎月のようにそばを通りながら、この花が咲いたのを見たのは初めてだった。まさか?と思ったが、花と葉から、これがクロバイだったのだ。島熊山近辺でクロバイは珍しいと言われ、事実、少年文化館奥の古木が知られるのみだったので、嬉しい発見だった。
 クロバイは咲き終わる先から林床一帯に小花が落下散在するので、近くを通れば開花を見落とすことはない。とすれば竹の間伐で大地に戻った光の恵みを受けつつ雌伏数年、開花への潜在力を蓄えて今年一気に爆発したのではないか。昨年5月、枝も折れよと突然大輪の花房で全身を飾ったカナメモチ同様、陽の偉大な力が及ぼした現象に違いない。足下を見渡せば、小さな種子を割って大地に根を降ろし始めた幼い実生で溢れている。また数10年、乏しい陽光の中、生きながらえてきた古い木々は今、生の活力を取り戻しつつある。この間の雑木林再生への積み重ねが一気に花開くのも遠いことではないのかも知れない。
 (※写真提供:高妻勲さん/後日判明したことですが、高妻さんは既に4月19日にこのクロバイを見つけて撮影済みでした)

   4 月   

   5 月   
山で一番のコナラ
 お〜〜ィ〜

 ◆山で一番大きなコナラに会いに行った。春は未だ浅く、木漏れ陽を通り抜ける風も冬の名残を孕んでいた。18年前の今頃も確かそうだった。木や草が切り倒される!虫も鳥も獣も殺され、住処を追われる!そんな切迫した危機感を胸に、この木に寄りかかり、また登ったことがあった。彼方に青く霞む箕面連山を眺めながら、どうしたら良いかと話しかけていた。
 ◆齢100年を超えるコナラは今も当時と変わることなく、悠々としてたたずんでいた。傍らに寄り添い、深い皺の走る幹にそっと掌を当てる。木の暖かみが微かに伝わってくる。体をあずけて見上げると、僅かに身をよじらせながら白い雲浮く青空へ、天へと一杯に背伸びしている。太い枝から八方へ拡げた小枝の先々に、すぐにも新世界へ身を躍らせ出るであろう花と葉の芽が、ぷっくりと膨らんで無数に連なっている。太い幹に耳を当てる。この山の根源から湧き伝う深く重い鼓動を聞き取ろうと思った。老木の発する微かな言霊を感じたいと願った。それをかき消すように樹冠を風が渡り、木々が騒めき、遠くでシジュウカラの鳴き声が鋭くこだましていた。

   2 月   
   3 月   
鳥食べられて羽散乱
 生きる厳しさ垣間見る

 ミヤコグサの小草原西端で12月と1月に2度、野鳥が何者かに食べられ、落葉の上に羽が散乱していた。暗闇の中、今日を無事に過ごせて微睡みに入った時、突如襲った荒々しい暴力。言いしれぬ恐怖に渾身の力で羽ばたく。だが、身体に爪が食い込み、首が折れ、骨が砕ける中で、生命の炎が短く燃え尽きる。他の生命を奪うことでしか自己を生きられない、体内深くに組み込まれた不条理の刻印。今し方まで大空を駆けめぐっていた柔らかな羽をむしられる鳥と、その暖かな血肉を食べることで今日の命を繋いだ小動物も、やがて闇の中に音もなく沈んで行く。人の世の喜びも哀しみも全てを呑み込んで1日が暮れ、月日がさざ波を立てて過ぎ行くように、大自然もまた生と死の織りなす荒々しいこの修羅の営みを中に呑み込んで、何事もなかったかのように1日が終わり、季節は地を這い空を渡って緩やかに移ろい行くのだろう。

   12 月   
   1 月   
間伐進む竹林にも やがて冬の訪れ



 積もる落葉の間から懸命に顔をのぞかせている1年生のアカマツ。鳥のくちばしから逃れ、光と水と大地とに恵まれて、多くの仲間から一人神秘の生命を開花できたのは、実に幸運なことだったろう。今年この元竹林で同様に産まれ育った数知れないヌルデやコナラの1年生とともに、初めて訪れる冬を無事に越し、また来年再来年と確かに年輪を刻んで行くことを、心から祈ろう。

   10 月   

   11 月   
ヌルデミミフシ


 熟
 れ
 た
 果
 実
 の
 よ
 う


 ヌルデミミフシ。ヌルデにできるアブラムシによる虫こぶと言うが、残酷で開けて見たことはない。ヒトの耳に似ているからだろうか。そう見えないこともない。現物は如何にも熟れた果実のよう。表皮の色つやは桃にそっくり美味しそう。

   8 月   

   9 月   
エゴノキに咲く不思議な花?


 毎月の森の手入れ、清掃の折に昼食を食べ、お茶を飲んで憩う小草原林縁に、大小4株のエゴノキがある。うちの1本に時折り妙な花が咲く。厚ぼったい10枚ほどの花弁が、今にも開いて大輪の花となりそうな気配が漂う。それがエゴノネコアシフシという名の虫こぶで、見るからにネコの足指そっくり。ニャンとも面白い形だ。バナナのような「花弁」の各々の中にアブラムシ=アリマキの1種が生育しており、7月頃、先端に開く穴から羽を持つ成虫が世に飛び立つ。この時の成虫は全て雌で、生活の場を一旦イネ科野草の一種に移した後、雌だけで何度かの世代交代を繰り返して、やがて晩秋、この年初めて出現した雄と交尾した雌は再びエゴノキに戻って越冬卵を産み、ついに死に絶えるという。(参考:虫こぶ入門等)

   6 月   

   7 月   
樹勢弱きカネメモチに突如大輪の花 無数開く

    偉大なり 陽の光

 驚きと感嘆。その時の気持ちはこれ以外に表現できない。全身に花房をまとい、突然眼前に現れた1本の中木。白い小花が多数集まって直径10p程の半球状の花房を作り、その花房が緑の葉を押しのけて至る所に着いている。その数700余。横に張り出した枝は重みでたわんでさえいる。今の時期、前年も前々年もこの木のそばを通り作業もしたのにこれまで花に誰一人気づかなかったのは、今年初めて咲いたからに違いない。周りの竹がなくなり、良く光を浴び始めて何年か、全身に蓄えられた力が今年一気に爆発し、これ程の開花になったのだろう。偉大なり陽の光、不思議なるは木の潜在力か。
 後の土田泰子さんの指摘では、この木は『カナメモチ』だった。
 (写真提供:土田泰子さん)

   4 月   
   5 月   
ササ刈りお疲れさん   

    雪の下から何かうまいもん飛び出せへんやろかな〜


 葉に積もる雪を払いつつササ刈りに奮闘している間に、どこからかいつの間にかやって来て、傍らで作業をずっと見守っていたモズの雌。誰がつけたかモズ子ちゃんと呼ばれていた。草木が雪を被り採餌するに困っていたところに、ササ刈り十字軍の出現で、虫が驚き追い出されるのを大いに期待したのだろう。地面に素早く舞い降りるのを見たし、「細長い緑の虫をくわえていた」との証言もあり、つき合った成果は一応あったようだった。(写真提供 土田泰子さん)

   2 月   
   3 月   
センダンまたたくまに成長
鳥の運んだ種から育つ


◆羊がおでこに丸い毛糸の玉を乗せているような柔らかさをかもしだすこの葉痕と冬芽はセンダンのもの。か細い幹ながら、そこから伸びる長い葉柄の付け根は太く盛り上がる。小葉が密生する大きな複葉へせっせと水を補給して、逆に葉でこしらえた養分をたっぷりと送り返してもらうに十分な太さだ。だから成長が早いのか。2年前にはヒトの背丈しかなかったこの幹が、今では見上げるばかりの高さと二の腕ほどの太さになった。
◆かつてその場所で世を謳歌したヤナギの枯死とともに姿を現し、成長途上で二度も根元から切り捨てられる不遇を乗り越えて、ここまで大きくなった。今年の初夏には、まだ誰も見たことのない初めての花を咲かせてくれるかも知れない。
   12 月   
  2008年 1 月   
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