歳時記

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野にあでやか

 秋の種子2種 タンキリマメ と マユミ


タンキリマメ
ともに青少年文化館奧の小径沿いに結実していた。◆タンキリマメは角度によって小さな赤いカニに見える。暗紅色の豆のサヤが付け根から先端にかけて縦二つに割れ、割れた両端の各々に一個ずつ、真っ黒に輝く丸い種子をつける。これが赤い甲羅から突き出した黒い眼になって見えてくる。
◆マユミは色鮮やかで華やかこの上ない。桃色の果皮がまず二つに割れると、中から朱塗りの種子が二つ顔をのぞかせる。何日か後にはさらにそれぞれが時間差を置いて二つに裂けるが、面白いことに今度はそこに種子は一つずつしか見られない。桃色と朱赤が小枝の節々に連なり、木全体が華やかに染め上げられる。
マユミ
   10 月   
   11 月   
葉とドングリ付きのコナラの小枝散在

  産卵後チョキリが切り離し


新鮮な葉とドングリをつけたまま、
  そ知らぬ顔で小道に落ちている ↑

必ず殻斗の上から穴を開け、産卵する。
  小枝の切り口は、材に対して直角 ↑
◆9月9日、2ヶ月ぶりの竹林整備の日、土田泰子さんが「これ」と言ってまだ萎れてない葉と緑のドングリをつけたコナラの新しい枝先を持ってきてくれた。それが何なのかすぐには解らなかったが、ハイイロチョッキリが産卵直後に切り落とした枝先だったのだ。ゾウムシ類はのんびりとした風貌と特有の所作が好きで、この山にも色々な種類が棲んでいて欲しいと日頃から思っていただけに、自身にとって初めての種の出現には大いに感激した。
◆必ず殻斗(ドングリのお尻が埋まっているイガ)に産卵の跡を示す小穴が開いているし、産卵したドングリを、それがついている小枝ごと切り落とすのが特徴。しかも切り口はスパッと鋭い―と説明を受けた。尾根道のあちこちに落ちているとも言われ、心がはやった。
◆会が終わり、帰宅後、暗くなる前に早速出かけた。神戸層群を過ぎ、心持ち薄暗くなり始めた尾根路に、ヤヤ、あった。確かに先程もらったと相同の、まだ青いドングリと新鮮な葉のついた小枝が何気なく落ちていた。しゃがんで手にとって確かめる。切り口がうす闇の中に白(左に続く)(右から)く鋭く光っている。殻斗には確かに灰色の染みになった小さい凹部がある。ここに産卵管を刺し込んだのだ。中には何日後かの孵化を待つ卵が収まっているのだ。孵化後は中の渋い果肉を食べて大きくなり、やがては自分で殻に丸い穴を開けて脱出し、冬も暖かな土中に潜り込んでサナギへと変身するのだ。
◆一つ目を見つけて感激に浸り、ふと辺りを見回すと、近くにまたあった。少し歩くと、今までなぜ気づかなかったのか不思議なくらい、幾つも見つかった。山にはこんなにも沢山のチョッキリがいたのだ。あらためて少し嬉しくなった。ただ願わくは、枝を落とさず、ドングリが自然落下するまで脱出を待って欲しいものだ。
   8 月   
   9 月   
トンボソウ花開く
   楽しくトンボ飛んでるよう


上はまだつぼみの状態。
右は開花した花軸先端の拡大。
(写真は土田泰子さん撮影)
◆「6月20日につぼみの状態を見て以来、いつ咲くかいつ開くかと期待しながら何度か足を運んだ末、7月10日、とうとう花開いている姿に出会えた。やっと咲いた!と感動でした」と、土田泰子さん。「花の形が複雑で、現物を見た瞬間はその由来たるトンボにはなかなか見えなかったが、写真に撮り、拡大してじっくり見直すと、左右に拡がる2枚の羽や、後方に長く伸びる腹部、尾部が、なるほどトンボを思わせますね」とも話してくれた。
◆確かによく見ればスーイスイと楽しげに群れ飛ぶトンボのように見える。それも漫画に描かれるやや太り気味のトンボのようだ。島熊山で今までに出会ったトンボソウは、大概花軸が伸びきらないうちに虫に喰われてしまい、ここまで花をつけた株を見たのは初めてのこと。図鑑(山渓:日本の野草)によると、トンボソウ3種のうちでこの株は「オオバノトンボソウ」に該当するようだ。
   6 月   
   7 月   
緋の模様も鮮やか
日光浴のヒヲドシチョウに出会う(高妻)

◆「4月8日、古池そばの竹林内でヒオドシチョウを見た」との情報が、高妻さんから写真を添えて寄せられた。島熊山でヒオドシチョウは珍しい。昨年、やはり会員の土田泰子さんの記録があるが、それ以前となると15年前の92年夏、森のレストランが昼夜賑わっていた頃にまで遡らねばならない。
◆ヒオドシは緋縅と書いて、鎧の札を鮮やかな緋に染めた革や糸で緒通ししたその紋様から名付けられたというから、かなり昔から知られていたのだろう。後翅端の水色紋も緋色と対をなして鮮やか。6,7月に羽化後、姿が見られるのはわずか10日間ほど。その後高地へ移動するか、平地では夏眠に入るとされ、人目につきにくい。キタテハやルリタテハ同様、成虫越冬するので、写真の個体は越冬から醒めた親と思われる。


   4 月   
   5 月   
早春の息吹を探して



   2 月   
   3 月   
タヌキまだ健在  フンで存在を主張


小径の真ん中で存在を主張している。ブツブツの粗い粒となって見えるのはシャシャンボの実
◆年明け早々、嬉しいことがあった。昨年10月の事故を最後に、ここ島熊山では絶滅したかと心配されたタヌキに、別の個体がまだ生きている痕跡が見つかったのだ。
◆中環沿いの急斜面で掘りたてのキツネの巣穴2本を見た後、稜線を通り、神戸層群を抜けて水場上の小径に入って間もなく、道の真ん中に黒光りのするフン3本がデンと落ちているのに出くわした。太さ20ミリ、長さ60ミリの、まだ柔らかな新しいもので、動物性の食物を口にしていないのか悪臭は全く無く、フンの大半はシャシャンボの実からなっていた。虫もトカゲも捕らえられず、一度に空腹を満たすカキにももはやありつけず、小さなこの実をせっせと口にして、寒空の飢えをしのいでいたのだろう。
◆フンがタヌキのものだとより確かに思われたのは、フンの端に付着していた1本の毛から。長さ67ミリの直毛は根元から先端にかけ白から焦げ茶へと変化して、タヌキの色合いをよく示していた。それがフンの内容と結び合い、タヌキの存在を明らかにしてくれたのだ。「どっこい、おいらは健在や」と、フンで生存を主張しているかのようだった。狭く棲みづらくなったこの地で、何とかまだ生きていてくれたのだ。


   12 月   
   2007年 1 月   
タヌキ また はねられて死す

またタヌキがはねられて死んだ。山の清掃日に当たった10月15日の朝、豊島横小草原の出入口にそれらしい死骸があるとの知らせで駆けつけると、若いタヌキだった。既に硬直しており、路上に血痕が激しく散っていた。夜半、闇に慣れた目を射抜く眩しい光に捕らえられ、怯えて身動きできないまま、頭部側から強くはね飛ばされたようだった。むごいことだ。口を浅く開けた顔は、無念さに歪んでいるようだった。(写真は土田泰子さん提供)


   10 月   
   11 月   
大阪府から豊中市へ
基金の森正式譲渡される
 8月31日、千里少年文化館後ろの島熊山(基金の森)が、正式な協定書をもって大阪府から豊中市へ譲渡されました。10月に公告され、豊中市の都市公園として認定された後、千里緑地と同様な活用が可能となります。府が計画したヘリポート建設の撤回を求めてから10年、島熊山はようやく平和と静けさを取り戻しました。この森では今年も子ギツネが2頭誕生しました。

   8 月   
   9 月   
オオミスジコウガイビル
◆梅雨に入り雨が何日か降り続くと、この期間だけ、しかも決まって同じ場所に姿を現す生き物がいる。オオミスジコウガイビルの名をもつコウガイビルの仲間で、大きなものでは1mぐらいにもなるという。事実、昨年見た個体は悠に60pはあった。例年1〜2頭が見られるだけなのに、今年は当たり年で、7月9日の朝、10〜40pまで長短合わせて7頭が、7人の侍然として一度に登場して、驚いたものだ。
降り続く長雨の恵みか
オオミスジコウガイビル 七人衆で華やかに登場


◆彼=彼女は何を食べ、どこに棲んでいるのか、酷暑と厳寒、とりわけ恐ろしい乾燥に耐えながら、梅雨どき以外の永い1年の大半を如何にしのいで翌年再登場するのか。その生活実態は皆目わからない。仲間の代表格たるコウガイビル(漢字を当てれば笄蛭)については幾つかの図鑑に多少の記載があり、寄せ集めれば@雌雄同体でA眼は小さく単眼が体側面に散らばるB傷を負ってもすぐに再生するC湿った場所を好みDミミズやカタツムリを捕食するE指標生物の一つで、その棲息は自然度の高さの証となるF江戸時代に婦人の髪すきに使った笄(こうがい)に姿形が似ており、コウガイビルの名が付いた――などの説明がかろうじてなされている。
◆ヒル類の捕食とは、多分、捕らえた相手の体液を吸うことなのだろう。オオミスジコウガイビルも大きくは違わないと思われる。だが、側溝の底壁を西や東へジワジワと這い進む歩みの遅さからして、断然動きの早くかつ力強いミミズを如何にして捕らえるのだろう。体長に比して著しく小さいイチョウ型頭部の中の、どこに位置するか見分けも困難な小さな口で、危険時には背負った我が殻深くに身をかくす隠遁の術をもつカタツムリの体液を、どうやって吸い尽くすのだろうか。体長が30pにも50pにも届く個体は、越冬越夏とともに、誰に教わるまでもなく、採餌の問題を解決してきた。書物の記載も、現場を見る機会もない現状は、想像力の飛躍を大いに試される時ではある。

   6 月   
   7 月   
若竹の液は甘いか?
切断面は醗酵物で白く被われており、甲虫がそれを舐めている。
◆若竹切りが一段落するとともに、切った人の中に、切り口から湧く竹の液(以下竹水)が甘いのか、それとも味などないのかという話題が持ち上がっている。SKさんなどはもとよりその気で、蛇腹のついたストロー持参であったし、ATさんは、節の中に良く竹水の溜まる切り方を提唱してもいた。
◆自身の少ない経験に照らせば、竹水はいつでもほのかな甘みがあった。それどころか、雨で薄まる不運にあわなかったからか、自然発酵をして、切り口は発酵物に被われて白変し、節の中に溜まる竹水はこれも薄く白濁して、微かなアルコール臭が漂っている現場にも何度か出くわした。原理はサル酒と同じで、竹水中の糖が竹表面や大気中の酵母菌により、自然にアルコール発酵したものと思われる。
◆一夏だけ開店する森の樹液レストランのように、竹水酒場も夜はもちろん、明るいうちからも近在の虫たちが集い、賑わっている。酔いのまわった虫は指で触っても動きが鈍く、運の悪いものが時折どぶろくの海に落ち込んで、息絶えていることもある。竹水は甘いか?と今問われても、ちゅうちょ無く「然り」と答えられる。

   4月   
   5月   
珍しい二体融合の年輪
この奇妙な紋様の年輪を、どう理解したらよいのか。
◆元来端正であった楕円は、めり込むほど強い左側面からの衝撃により、内へ鋭く歪み込んでいる。その中を、寒期生育の証である黒い曲線が、外縁と相似をなし、少しずつ間隔を縮めながら内へ向かって何本も平行に走る。だが、この曲線が幾重にも取り囲む中心部に、突然、それまでの流れを断ち切るようにして、同心円を描く異質の塊が二つ、あたかも頑固なコブの如くに渦を巻いて出現している。めり込んだ左コブの上端からは黒い曲線が次々に激しく噴出しており、ぐるり一周の後、今度はコブの下端に猛烈な勢いで吸い込まれているかに見える。その軌跡は、連星間に噴出する星間ガスの流路のようであり、また二極間に形成される地磁気の流れのようでもある。曲線の流れをたどると、左コブが発する幾重もの磁力線の束により、右コブをとり囲ってしまったかに見える。
◆だが実際に時の経過に照らせば、事実は全て逆となってしまう。黒い曲線は各々二つのコブの中心で独自に生まれて、まず10数年の間は同心円を描いて拡がり、さらに途中から相互に干渉し合いつつ成長する中で、ついには融合合体して、紋様はその合成形として発展していった。彼我の攻防を探れば、右のコブは静かに自己拡大をはかりつつ力を蓄積し、時の成熟を待って左コブに補足の黒い糸を矢継ぎ早に放って、自己へ取り込もうとしたのではないか。左コブの上と下とに糸が密に収束しているのは、コブを窒息させ、絡め獲るべき最終の段階に来ていたのではないか。左端の一部がかろうじて融合から逃れているのは、左コブがそれに最後まで抵抗していた姿ではないか。
◆しかし、マツカサの中の小さな種子からこの世に芽生えて左コブは19年、右コブは15年の単独生活を送り、さらに両者融合で20年を積重ねて都合40年近くの風雪に耐えた後、それぞれの思惑を残して、ついに松枯れという病の前に倒れて、一生を終えたのだ。
   2月   
   3月   
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